The name of the Green

 

馴染みの古書店で求めたその洋書は、金彩を施した艶やかな羊皮紙の装丁が目を引いた。書斎に一人、窓際のカウチに座りおもむろにページを繰る。その指先から静かに、ゆっくりと読み進めるごとに毒が体内に忍び込み、やがて結末に辿り着くことなく私を死に至らしめる。

 

そんな光景を思い浮かべながらこの原稿を書く。

映画でもあるまいし、本が人を殺めるなんて?

ありうるのである。

書籍における砒素中毒の話だ。

 

2018年。南デンマーク大学図書館。中世のテクストを解読しようと、研究者たちが没食インクに含まれる鉄の痕跡を探すために蛍光エックス線分析を用いた。そこで美しい緑の羊皮紙から砒素の元素を発見した。

まもなく米国のスミソニアン博物館でも同様の事が起こり、これは大変だと世界中で調査が始まった。すると19世紀に出版された洋書を中心に次々と見つかり、202312月時点で250冊が各国で見つかっている。

 日本でも大学図書館や古書店において砒素が塗られた洋書が存在するそうだ。

 

“パリ・グリーン”。

なんて蠱惑的なネーミングだろう。鮮やかなエメラルド色を当時そう呼んでいた。

銅と砒素を化合させて作ると、孔雀石を砕いて作る顔料とは比べ物にならないほど色味の濃いものが出来あがった。たちまち人々を魅了し人気は高まり壁紙から造花、ドレスに用いられ身の回りに溢れていった。このグリーンの正体は亜ヒ酸銅。猛毒である。結果、消費者はもちろんのこと製造する工場に従事する大勢が中毒に苦しんだのであった。大きな社会問題となり1814年に華々しく登場したグリーンは50年代には生産減少し現在は使われていない。

一方、日本はどうだったか。緑の顔料といえば孔雀石だが、それを砕き顔料として使用し始めたのは飛鳥時代に遡るようだ。とんで江戸時代の傑作、尾形光琳の燕子花図にも用いられ、濃い緑を”岩緑青”、薄いものを“百緑”と呼んでいた。色の濃淡は砕いた粒の細かさによるのだが、江戸時代は長い樋を使い水で流しながら手前におもい(=大きい)粒を溜め、先の方に流れてゆく軽い(=細かい))粒を溜め、それを分別して膠などを混ぜ顔料を製造していた。それが明治頃まで続いたようだ。なんとも原始的である。幕末には洋書が出島などから日本に入ってきたが、高価な洋書を手にすることができた者は裕福なごく限られた人間だけだろう。おそらく大切に保管され、長らく市中に出回ることはなったと想像する。果たして、それらのいずれかが鮮やかな緑色をしていたのであろう。古書店の出番である。屋敷の蔵をちょっと拝見、査定し買取り店頭に並べもすれば、学者先生のご要望にお応えして取り置きもする。こうして国内の大学図書館の蔵書として、また古書店の片隅で今や遅しと発見された。

しかし和綴本から砒素が検出された話は聞かない。

思うに緑豊かな自然に囲まれている日本においては孔雀石のナチュラルな色は十分美しく、それ以上を欲することはなかったのではないかと思う。“侘び寂び”を好むお国柄であろうか。

 

鉱物に携わる者には周知の事実だが、砒素そのものは無害である。亜ヒ酸がヤバイのだ。”正しく知って恐れよ“と肝に銘じる。

 

今回は、店に送られてくる全古書連ニュースに目を通していたら、珍しく鉱物の名前が頻出するので思わず水晶クラブで報告したのだが、原稿を書く栄誉を戴けるとは恐悦至極である。

 

さあ、今日もすでに客足は途絶えている。早めに店を閉めて古書店街を歩こうか。時に思い付いたらそっと棚板の隙間から覗き込み、小口が緑色かどうかを確認するのだ。

 

神田古書センター5階 薫風花乃堂 店主 忍岡